声を荒げる

人間が複数存在する閉じた空間において,一対一の怒りが発生する.そうすると周りでそれを聞かざるを得ない我々はどうしても今やっている作業への集中力を失うし,根本的なモチベーションをも失う.その程度は教員として雇用されている以上は理解しているべきだろう.

とはいえ,んまぁ怒鳴りたくなる気持ちもわかるんだよな.なんというか,音声のやりとりはしているんだけどコミュニケーションが成立していない感じ.単純な質問を投げているのに,なぜかその質問に沿うように再解釈されて主張が変わったりする.「〇〇だとおもいます」「あ,そうなんだ?(単純な疑問の提示)」「いや,ちょっと違うかもしれないです...」「なんやそれ(苛々)」みたいな.

ほんとうにおそらくだけど,これに苛々してしまう理由は,「フェア」じゃないからだとおもう.きっとその学生も他の友人であったりと話すときはふつうに情報の交換をして議論もできるはずなのに,何らかの理由でいま対話している人間をそれとは別のカテゴリに置いてコミュニケーションしようとしている.これは「フェア」じゃない.そして,教員から見れば研究者同士だとスムーズにできている(はず)の「フェア」なプロトコルでの通信がうまくいかないし要領を得ない対話が続く.爆発する.みたいな.

しかしこれも,「相手から怒られないように」という最適化の仕方をしているせいな気がしなくもない.議論をするということは,自らが間違った論理を主張するかもしれないリスクを互いに持ちながらやることになる.しかしそのおかげでアンチパターンンの共有ができるし,論点が深まる.怒られを回避するようになると,この「リスクを取る」という行為を忌避するようになるだろう.「君の意見を言ってみて」「(動作を停止しました)」.この回避行動は研究という行為からもっとも遠い場所にあるだろうから,研究者から見たら苛々するかもしれない.

この点に関しては,指導にも問題があるだろう.過去に学生に意見を言わせておいて,その見解に対して怒ってしまった可能性が高い.もちろんそりゃあすげえ頓珍漢なやつが来たらキレるだろうけど,そこだけは踏みとどまっていただきたいと願ってしまう.年齢が近い場合はメタなコミュニケーションにあまり労力を割かなくてもうまくいくんだろうが,ある程度以上に年齢差が大きくなると,どうしても力の非対称性が発生する.できれば力の大きい側がそれに自覚的でありたいものだなとおもった.